0.本稿の立ち位置と用語
本稿は、まず最初に立場をはっきりさせます。
いかなる殺人行為・殺戮行為(=戦争行為)も、非人道的な暴力として断固反対し、容認しない。
この前提に立ったうえで、現在進行しているイラン戦争と、それを取り巻く情報環境が、表現芸術にどのような影響を与えているのかを考えます。
とくに焦点を当てるのは、
- 巨大プラットフォーム企業の利害
- 各国の国家権力の利害
この二つが、ネット空間で重なり合う場所です。
その上で、本稿で繰り返し用いるいくつかの言葉を、簡潔に定義しておきます。
物理的な暴力
空爆・砲撃・銃撃・破壊・死傷・避難・インフラ破壊など、身体と生活に直接ダメージを与える暴力を指します。
情報的な暴力
通信遮断、検閲や抑圧、偽情報・誤情報の拡散、可視性の恣意的操作、収益化や規約運用によって沈黙を強いることなど、「語る/届ける/知る」という条件そのものを傷つける行為を指します。
プラットフォーム資本主義(本稿での使い方)
文化・言論・表現の流通と収益が、巨大プラットフォームのアルゴリズムや広告モデル、規約運用、API設計に深く依存し、その結果として文化生産の条件が作り替えられていく状態を指します。
可視性
プラットフォームの上で、作品や発言が「どれだけ人の目に触れるか/届くか」という度合いです。推薦アルゴリズムや規約運用、通報や炎上、広告の適合性、収益化の条件などに左右されます。
本稿が扱う具体的な事実は、2026年3月上旬時点で確認できる報道や一次資料(EU理事会の発表、EU官報のPDFなど)と、近年の学術研究(プラットフォーム化、プラットフォーム・ガバナンスなど)に依拠します。
刻々と数字が変わる戦場の現実を、ここでは「絶対的な数値」としてではなく、「検証可能な範囲での現時点の記録」として扱います。
1.序論――戦争とプラットフォーム資本主義の時代における表現芸術
2026年3月上旬、アメリカとイスラエルによる対イラン攻撃、そしてそれに対する報復・応酬によって、中東一帯は深刻な武力衝突の局面に入っています。報道ベースでは、イラン国内の死者が500人を超え、戦闘や攻撃の影響は少なくとも9カ国に及んでいるとされています。
ただし、通信制限や情報統制が行われている状況では、被害の規模や内訳は、誰がどの方法で数えているかによって変動します。そのため本稿は、数値を「感情を煽るための材料」としてではなく、「確認可能な範囲での現時点の情報」として扱います。
この状況の中で、本稿が見つめたいのは次の点です。
戦争が、「巨大プラットフォームの利権」と「国家の利権」と結びついたとき、表現芸術はどのような条件のもとに置かれてしまうのか。
ここでいう「表現芸術」とは、音楽・舞台・映像・メディアアートなどを含む広い領域です。とりわけ、インターネット・パソコン・スマートフォンなどのデバイス上で制作され、流通し、受容される表現を含みます。
今日、これらの多くは巨大IT企業のプラットフォームに依存しています。依存しているのは「作品を置く場所」だけではありません。
可視性、収益、検索性、コミュニティとの接点、炎上や通報のリスクまで、さまざまな要素がプラットフォームの設計に組み込まれています。
戦争が表現者に与える影響は、「作品のテーマが変わる」といったレベルに留まりません。
- 語るための回線
- 届けるための可視性
- 事実に接続するための情報環境
こうした表現の基盤そのものが、「物理的な暴力」と「情報的な暴力」の両面から揺さぶられています。
しかも現代は、この二つの暴力が同時進行し、互いを増幅してしまう時代です。ここに、本稿の問題意識があります。
2.イラン戦争と情報インフラ――いま起きていること
2-1.通信遮断と情報封鎖――まず壊される「語る回線」
戦争が始まるとき、破壊されるのは建物やインフラだけではありません。
人が「語る権利」や「届ける手段」も、まっさきに狙われます。その象徴が、インターネットの遮断です。
今回のイラン戦争に関しては、
- 国内での大規模な通信遮断や、インターネットへのアクセス制限
- それを支える監督当局や、サイバースペースを統制する組織の存在
が、EUの制裁資料や官報の文書からも確認されています。
重要なのは、こうした通信遮断や情報統制が「偶然のシステム障害」ではなく、統治のための技術として計画され、運用され得ることです。
戦争は、物理的な破壊と同時に、外部からの監視や内部同士の連携を断ち切り、暴力を見えにくくする方向で情報インフラを使い始めます。
表現芸術にとって、この影響は致命的です。
- 作品をつくる以前に、「語る回線」が奪われる
- 記録を外へ出す通路が塞がれ、証言が届けられない
- 外部の人々は、何が起きているのかを知る手段そのものを失っていく
このとき、暴力は「目に見えない形」で進行しやすくなります。
情報的な暴力は、物理的暴力の付け足しではなく、ときにその前提条件になります。
2-2.偽情報とAI生成コンテンツ――「戦場」がショーになる
一方で、イラン国外、とくにアメリカ発のSNS空間では、別のかたちの暴力が進行しています。
それは、偽情報と「注意経済」(閲覧・拡散・広告収益)が結びつく構図です。
イランへの攻撃後、SNS上で拡散した「戦場映像」の中には、
- AI生成の画像
- 過去の別の紛争の映像
- ビデオゲームの映像
などが混ざっていたことが、複数の報道機関の検証によって明らかになっています。
たとえば、最高指導者の「遺体」として拡散された画像がAI生成だったケースや、実際には沈没していない空母が「撃沈された」とする虚偽の投稿、ゲーム映像や十数年前の別の式典映像が「今回の犠牲者」として流通したケースなどです。
ここで起きているのは、単なる「勘違い」や「悪ふざけ」ではありません。
戦争がプラットフォームの上で「コンテンツ」に変換され、閲覧数と広告の燃料として消費されている、という構造そのものです。
ファクトチェックや訂正の注釈が付くこともありますが、多くの場合、拡散のピークを過ぎた後です。
真実よりも先に、「強いビジュアル」や「刺激的な語り」のほうが人目を集めてしまう。これが、現在の構図です。
このことは、表現芸術に二つの圧力をかけます。
反戦の言葉が不利になりやすい
戦争を否定する立場からの冷静な言葉は、「センシティブで退屈なもの」とみなされやすく、短期的な拡散力では不利になります。
一方で、戦争をショーとして扱うクリップや、「ゲームのような戦場」の表現は、瞬間的な反応を稼ぎやすい構図に置かれます。
史料を確かめるコストが跳ね上がる
偽情報とAI生成物が溢れるほど、「何が史料として信頼できるのか」を確かめる負担が増えていきます。
誠実に検証しようとする表現者ほど、制作に時間と労力がかかり、その分、拡散のスピードでは不利になります。ここに、「遅い誠実さ」が損をする罠が生まれます。
3.巨大プラットフォームと国家利権――二つの力が交差するところ
3-1.プラットフォーム化――文化の条件が書き換えられる
こうした状況を理解するうえで鍵になるのが、文化産業のプラットフォーム化という視点です。
近年の研究は、YouTubeやTikTok、Spotify、X、Instagramのようなプラットフォームを、
- 作品を置くだけの「場所」
ではなく、
- 経済・技術・規約を通して文化生産そのものを組み替える「主体」
として捉えています。
この視点に立つと、プラットフォームは中立なインフラではありません。
「どの作品が」「どんな条件で」「どれだけ可視化されるか」を事実上コントロールする、政治的なアクターです。
その結果、表現者は
- 作品の内容
だけでなく、
- アルゴリズムに好まれる尺や構成
- 規約に触れないための言葉遣い
- 広告主に嫌われないテーマ
まで気にしながら制作せざるを得なくなります。
作品の良し悪しだけで勝負しているつもりでも、実際には、
アルゴリズムや規約、通報文化、炎上リスク、スポンサー適合性といった要素が、常に背後から作品を引っ張っている。
表現は、静かな「最適化」を強いられている、と言えます。
3-2.プラットフォーム・ガバナンスと周縁――「不利」による統制
さらに問題なのは、プラットフォームの影響がすべての表現者に均等ではないことです。
クリエイターへの聞き取り調査では、
- 再生数や露出が突然落ちる
- 影響力があるはずなのに、特定の投稿だけ極端に伸びない
といった経験から、「自分はシャドウバンされているのではないか」という不安が広がっていることが報告されています。
その不安は、やがて自己検閲や回避行動へとつながります。
ここで起きている自己検閲は、昔ながらの「検閲官」による禁止とはかたちが違います。
- 「このテーマは伸びない気がする」
- 「この言い方は危ないかもしれない」
- 「炎上すると生活に響く」
- 「収益化が止まると困る」
といった損得勘定が先に立つことで、
言葉が削られ、角が丸くなり、最後には沈黙が選ばれていきます。
これは、「禁止」ではなく「不利」による統制です。
やってはいけない、と明示されなくても、「やると損をする」ことで人々の行動が誘導されていきます。
4.表現芸術が立たされている場所
4-1.倫理と収益の非対称性――遅い誠実さの不利
以上を踏まえると、表現芸術は現在、次のような場所に立たされています。
- 戦争による物理的暴力と情報적暴力の双方から影響を受けながら
- プラットフォーム資本主義の条件のもとで、「何が届くか」を選別される
という状況です。
戦争や紛争を扱うテーマでは、とくに自己検閲の圧力が強くなります。
いかなる戦争行為も非人道的な暴力として否定し、殺戮行為に明確に反対する表現は、
- センシティブ扱いによる可視性の低下
- 収益化停止のリスク
- 通報が集中することによる削除・制限
といった不利益を被る可能性があります。
一方で、イラン戦争を含む複数の事例が示すように、
戦争は偽情報やAI生成物を交えながら「それらしく」演出され、短いクリップや刺激的な画像として消費されていきます。
その結果、
- 戦争を英雄物語やゲーム感覚で扱うコンテンツほど、短期的には再生数が伸びやすい
- 検証と慎重な言葉を要する反戦・反暴力の表現ほど、スピードと数字の競争では不利になる
という、倫理と収益の非対称性が生じます。
説明が必要で、史料確認が必要で、言葉が慎重であるほど、表現は「遅く」なります。
しかしプラットフォームの世界では、遅さは不利になります。
この構造のなかで、戦争を否定し、殺戮を拒む言葉ほど、届きにくくなってしまう危険があります。
4-2.沈黙と動員――表現が奪われる二つの方向
戦争時に表現芸術が受ける圧力は、大きく分けて二つあります。
(1)沈黙の強要
通信遮断や情報統制によって、現地の表現者は作品や証言を外へ届ける手段を失います。
外部の人間も検証可能性を失い、何が起きているのかを知る回路が細っていきます。
こうした沈黙は、偶然ではなく「作られた状態」として理解する必要があります。
(2)動員としての利用
国家や政治勢力は、音楽・映像・パフォーマンスをプロパガンダの一部として利用し、市民を戦争支持へと誘導します。
いま、その動員は街頭演説や紙のポスターだけではありません。
プラットフォーム上での可視性・拡散・収益化の回路そのものが、動員の媒体になっています。
偽情報やAI生成コンテンツが「戦況」として消費されるとき、戦争はさらにショー化し、現実の死傷や恐怖が閲覧と収益の燃料へと変換されます。
この二つの圧力に挟まれた場所で、
戦争行為を非人道的な暴力として否定し、殺さないことを前提とする表現
は、届きにくくなり、ときには攻撃の対象にさえなり得ます。
本来、表現芸術は、暴力を美化しないこと、加害と被害の非対称性を正確に見つめること、そして「殺さない選択肢」を想像することによって、社会に批評と希望をもたらし得る営みです。
しかし今、戦争とプラットフォーム資本主義と国家利権が交差する環境は、その役割の発揮を阻む方向に働いています。
5.これからの懸念――「見えない戦時体制」と表現芸術
5-1.戦争コンテンツの常態化――感覚の麻痺と倫理の疲労
武力紛争が途切れず続き、その映像が日常的なタイムラインに流れ続けると、人々は暴力表象に対して徐々に感覚が麻痺していく危険があります。
その過程で、
- たとえ戦争批判の作品であっても、「戦場のビジュアル」を消費として再生産してしまうリスク
- 殺戮行為を前提としない物語や音・身体表現が、相対的に見えづらくなる問題
が生じます。
さらに、AI生成物や流用映像が「戦争のリアル」として混入することで、偽情報が現実の感覚を上書きしていきます。
このような環境では、「暴力を描く」ことと「暴力を否認する」ことを区別するための土台そのものが揺らぎます。
表現者は、その倫理的負荷をほとんど個人で背負わされがちです。
その結果、倫理は疲れ、沈黙が合理的な選択肢のように見え始める危険があります。
5-2.真実へのアクセスの困難化――検証の土台が崩れる
通信遮断、偽情報、偏った可視性が重なっていくと、「現地で何が起きているのか」を外側から知ることは極端に難しくなります。
遮断は、被害の記録を外へ出させないだけでなく、外部からの検証も妨げます。
偽情報は、真偽を見極めようとする意志そのものを摩耗させます。
こうして、「真実へのアクセス」が壊れると、表現芸術が現実の構造を可視化するために必要な前提――史料の確かさ――が揺らぎます。
表現者はこれまで以上に、
- 何を史料として信頼し得るのか
- 自身の作品が偽情報の再生産に巻き込まれていないか
を慎重に確認しなければなりません。
しかし、確認には時間がかかる一方で、拡散は一瞬です。ここにも、「遅い誠実さ」が不利になる構造があります。
5-3.「禁止」ではなく「不利」による沈黙
プラットフォーム化が進むなかで、表現者の生計は、再生数やエンゲージメント、広告収益、スポンサーとの関係などに影響されやすくなっています。
そうした環境では、
- 戦争行為そのものを非人道的暴力として否定し、国家や企業の利害を批判的に描く作品
よりも、
- 対立をぼかした「中立」な作品や、摩擦を生みにくい娯楽性の高い作品
のほうが、経済的に有利になりがちです。
その結果、戦争や殺戮行為に対する明確な拒否の言葉は、直接禁止されなくても、「不利」というかたちで沈黙へ追い込まれていく危険があります。
「言ってはいけない」から言わない
のではなく、
「言うと損をする」から言わない
という形で、表現が削られていきます。
その選択が積み重なると、社会全体の言葉が痩せていきます。反暴力の声が薄れ、戦争が「いつもどこかで起きているもの」として常態化していく危険があります。
6.結語――「殺さない」「騙さない」表現の条件
本稿では、2026年3月上旬時点のイラン戦争をめぐる状況と情報環境を手がかりに、
- 戦争行為そのもの
- 巨大プラットフォームの利権
- 国家の利権
- そして表現芸術
の関係を整理しました。
ここから、少なくとも次の三点が見えてきます。
戦争は、「声」と「記憶」も破壊する
戦争行為は、物理的な殺戮や破壊だけでなく、通信遮断や情報統制、偽情報の拡散を通じて、人々の声と記録をも消し去ろうとします。沈黙は偶然ではなく、作られた状態になり得ます。
プラットフォームは中立なインフラではない
巨大プラットフォームは、アルゴリズムや収益構造を通じて、「どの表現が見えるか・見えないか」を選別する政治的なアクターとして機能し得ます。文化生産の条件そのものが、プラットフォームの設計によって組み替えられていきます。
「禁止」ではなく「不利」が、言葉を削っていく
戦争時には、国家とプラットフォームの利害が結びつき、ある種の表現は沈黙させられ、別の種の表現は動員される圧力が強まります。そこでは、直接的な検閲だけでなく、収益化や可視性、炎上リスク、通報文化といった「不利」が、表現を削り、丸め、やがて沈黙へと追いやっていきます。
これらを踏まえたうえで、いかなる殺人行為・殺戮行為(=戦争行為)も非人道的な暴力として断固反対し、容認しない立場から、表現芸術に求められる条件を、あらためて三つにまとめます。
暴力を前提としない想像力を守ること
殺戮や策略を「前提条件」としない物語や音、身体表現を、粘り強くつくり続けること。戦争の映像がタイムラインに流れ続ける時代ほど、暴力に回収されない感覚と形式を守る必要があります。
インフラとの距離感を自覚すること
プラットフォームの内側にいるとしても、そのアルゴリズムや利権構造を自覚し、そこに完全には回収されない言葉や形式を模索すること。作品の内容だけでなく、「どこで」「どう残すか」という選択も、表現の一部として考えることが求められます。
記録と証言としての役割を手放さないこと
検閲と偽情報の時代にあって、表現芸術が「誰が沈黙させられているのか」「何が見えなくされているのか」を見つめ続ける記録媒体であり続けること。記録は「正しさの誇示」のためではなく、暴力に対する抵抗の最小単位として残されるべきです。
戦争、プラットフォーム資本主義、国家利権が重なり合うこの時代において、表現芸術が果たすべき役割は、娯楽の提供でも、プロパガンダの強化でもありません。
それは、「殺さないこと」「騙さないこと」を前提とした表現の可能性を、あきらめないことだと私は考えます。
その可能性を守るために、戦争行為を断固として拒否し、同時に、情報環境の暴力にも目を凝らし続けること。
その姿勢こそが、これからの表現芸術の最低条件であり、出発点になるはずです。